日本一長い千曲川が流れる、信州佐久において、その豊かな自然に育まれ、佐久鯉をはじめ沢山の淡水魚を育てて、高い評価をいただいております。
これもひとえに地域の皆様方のご支援と、先人たちの長い淡水魚養殖の伝統と努力により実現されたものと感謝いたしております。
淡水魚養殖も沢山の課題に直面し、困難な時代にありますが、全国の皆様に安心安全な国産魚をお届けできますように、組合員一同日々努力いたしております。今後ともよろしくお願いいたします。
佐久養殖漁業組合 組合長 飯田好輝
長野県東部の佐久市及び南北佐久郡において、江戸時代から有名な佐久鯉他、在来マス(いわな、やまめ等)・ニジマス・シナノユキマス・信州サーモン・ウグイ・フナ等内水面養殖を営んでいる人たちの協同組合です。
名 称 | 佐久養殖漁業協同組合 |
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所 在 地 | 〒385-0042 長野県佐久市高柳338番地 |
設 立 | 大正期の南佐久水産会、長野県養殖漁業協同組合を経て、 戦後の新しい水産業協同組合法により昭和29年5月設立。 |
代 表 者 | 代表理事組合長 飯田 好輝 |
事 業 | 販売事業:佐久鯉・淡水魚販売等 購買事業:飼料点資材の斡旋等 加工事業:淡水魚各種の加工販売 指導事業:情報提供・技術指導・宣伝等他 その他:上記事業に付帯する事業 |
組合員数 | 正組合員 19名 準組合員 7名 (平成24年5月現在) |
江戸時代~明治 | 江戸時代より佐久での養鯉の記録あり。 江戸時代末期から明治に入り、水田養鯉が盛んとなり、鯉の販売を専ら営むものが現れる。 溜め池利用の養鯉盛んに行われる(野沢地区では明治17年に水田の92%で行われた記録あり) 明治末期養鯉の産業組合組織される、その後地区農会として組織される。 生産量が多くなり鯉販売専門業者多くなる |
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大正~昭和初期 | 大正期に入りその他の淡水魚養殖が試みられるようになる。 佐久養鯉出荷組合など組織され、東京への出荷多くなる。 大正15年南佐久水産会設立され、隆盛を極める。 昭和に入り、貨車輸送等による東京出荷が盛んになり、昭和5年南佐久水産会により「佐久鯉」に名称が統一される。 この頃、生産量日本一となる。 |
1944(昭和19)年 | 水産業団体法が公布され、長野県池中養殖特別漁業会に統一される。 |
1949(昭和24)年 | 水産業協同組合法施行される。長野県養殖漁業協同組合となる。 |
1954(昭和29)年 | 1954(昭和29)年5月上記県養殖より分離して佐久養殖漁業協同組合設立(組合員数370名) その後、鯉生産量急激に伸びる。 昭和30年代に入り、水稲の農薬使用等により、水田養鯉が急速に衰退する。 戦後輸出用ニジマスの養殖、県下で盛んになる。 組合員の生産は、アユ養殖・ニジマス養殖が増える。 湧水ではなく、千曲川の流水による養殖を特徴とするニジマスの生産始まる。 |
1962(昭和37)年 | 鯉563t・ニジマス100t・アユ50t 組合による東京中央卸市場を中心にアユの出荷盛んになる。 |
1965(昭和40)年頃 | 佐久鯉祭り開催や、鯉切手の発行等佐久鯉の宣伝に力を入れる。 |
1975(昭和50)年頃 | 昭和50年頃信用事業の停止並びに組合規模縮小。 |
1981(昭和56)年 | 高柳の佐久養魚団地内に移転。 |
1983(昭和58)年 | シナノユキマス(水産試験場佐久支場が完全養殖に成功)養殖始まる。 |
1994(平成6)年 | 7月11日湯川土石流発生、組合員に甚大な被害発生。 廃業者が出る、その後農林省と協議し、二分の一の国庫補助金を受け、水質警報機を小海町に設置。 |
1998(平成10)年 | 10月4日大規模な灯油流失による水質汚濁が起きる。 |
2002(平成14)年 | KHV(鯉ヘルペス)発生。これにより全国の鯉業界壊滅状態になる。 |
2007(平成19)年 | 7月、特許庁に佐久鯉の申請。 |
2008(平成20)年 | 9月12日 登録査定 |